こんにちは。
今年の1月に父親が死にました。80歳でした。
高齢化が進む現代では、死ぬには少し早い年齢でしたが病気が重なり亡くなりました。
僕は父親と二人暮らしでした。
元気だった父親が、次第に弱っていく姿を見守るのは精神的に非常に辛かったです。
いずれは来るとわかっていましたが、先の見えない不安に押しつぶされそうになりました。
父親の死を目の前にした時は本当に悲しかったですが、正直、内心はホッとしていました。
それは、「もうこれ以上父親の苦しむ姿を見たくない」という気持ちと、「これでようやく介護から解放される」という気持ちが入り混じったものでした。
僕は介護施設で5年の介護経験があり、普通の人よりは慣れている方ですが、それでも実の父親を介護するのは骨が折れました。
仕事で他人を介護するのとは全然違います。
少し時間が経ち気持ちも落ち着いてきたので、私の介護経験を語ってみたいと思います。
今、家族の介護で辛い思いをしている方の励みになれば本当に嬉しく思います。
父親の介護 最初の気づき〜寝たきりまでの経緯
父が体の不調を訴え始めたのは、亡くなる1年6ヶ月前くらいでした。
最初は、「手が痺れる」といって苦い表情で僕に訴えかけてきたのが始まりでした。
そこから症状はものすごい速さで進行していきました。
1週間後には両手が動かなくなり、スボンのチャックを自分で下ろせなくなりました。
2週間後には歩けなくなり、寝返りも打てなくなりました。
たった2週間でトイレもお風呂も食事も自分でできない状態に陥りました。
人の力を借りなければ、ベッドから起き上がることもできません。
たったの2週間でほぼ寝たきりの状態まで悪化してしまったのです。
父親の衰えていくスピードに僕の方がついていけませんでした。
とにかく病院へ!!と思い、車椅子を借りて父親を病院へ連れていきました。
半日検査で連れ回された結果、診断は「頚椎脊柱管狭窄症」でした。
首の神経が圧迫されて身体の自由が効かなくなっているとのことでした。
主治医の先生には「オペが必要だが、手術に耐えられるかわからない」と言われました。
しかし、手術をしないということは父はずっと寝たきり状態だということです。
総合病院の待合室のの片隅で車椅子に乗った父と2人…。辛くて涙が出てきました。
これからどうなるんだろう? 不安でいっぱいでした。
僕は本人の意思を尊重しようと思い、父に「どうする??」と尋ねました。
父は「お前にこれ以上迷惑はかけられない。手術したい。」と言いました。
元高校教師で、プライドの高い父です。息子に介護されるのはきっとプライドが傷ついたんだと思います。
手術を決意した父でしたが、実は以前から腎臓にも問題があり、腎機能が正常な状態の20%しか機能していませんでした。
腎臓内科の先生は「やめた方がいい」と言いましたが、父の決意は固く手術を受けることになりました。
闘病生活
手術が決まってからもなかなかすぐには入院させてくれません。
週に2回ほどの通院が2ヶ月近く続きました。
検査に次ぐ検査で、本当に疲弊しました。
寝たきりの父の介護と通院と自分の仕事、僕の疲労もピークでしたが手術すれば良くなると思っていたので何とか乗り切れました。
やっとの思いで入院まで漕ぎ着け、手術室に向かう父を祈るような気持ちで見送りました。
手術後先生から、手術成功の報告を受け、僕はひと仕事終えたような気持ちで家路につきました。
しかし、その2日後病院でコロナの集団感染が起こり、父は隔離病棟に移動されてしまいました。
2週間の面会謝絶です…
心底がっかりしました…
そして2週間が経過しコロナ病棟から一般病棟に移動した直後、父は脳梗塞を起こし、再度緊急手術をすることになりました。
僕は電話を受け、職場から病院に直行しました。
せっかく元気になると思ったのに…
がっかりの連続です。
脳梗塞の手術が終わり父に面会ができました。
驚くほど変わり果てた父の姿に涙が止まりません。
鼻から栄養を流す管を通され、手首と首には痛々しい手術の痕がありました。
父はもうボロボロでした…
「親父!大丈夫か??」
声をかけるとうなずき返してきます。
「俺は今どこにいる??」
「病院だよ!」
「そうか。迷惑かけたな…」
「大丈夫だよ…早く良くなってよ!」
それから、父はリハビリを開始しますが一向に状態は良くなりません。
脳梗塞の後遺症で物を飲み込むことが出来なくなってしまいました。
手足の動きはどんどん回復していくのですが、飲み込む機能が最後まで回復しませんでした。
病院にお見舞いに行くと、「焼肉が食べたい」とよく言っていました。
それから父はリハビリ病院に転院し6ヶ月間リハビリを続けましたが、口から物が食べられるようにはなりませんでした。
その後、僕は父を介護施設に預けましたが、その介護施設で2回の誤嚥性肺炎を起こし救急搬送され再度病院に入院します。
長い入院生活で父はだんだんボケてきていました。時々僕の名前が思い出せないこともあり、見ていて本当に悲しかったです。
僕は父の命がもう少しで消えそうなことを悟りました。
「もう良くならないなら、最後くらい家で過ごさせてあげたい」と思い主治医の先生に相談しました。
先生は「今の状態で家に返すことは自殺行為だ」と言って許可がおりませんでした。
そこで、今度は療養型病院に転院することになりました。
療養型病院とは、簡単に言えば死を待つ人が集まるところです。
僕はそんなところに父を送りたくはなかったのですが、選択肢がありませんでした。
僕は無力感でいっぱいでしたが、家で父を面倒見ることは不可能でした。
結局父はその後6ヶ月間その病院で少しづつ衰え、痩せ細り、言葉を失っていきました。
苦しそうな父の表情が今でも瞼の裏に焼き付いています。
息を引き取った後の父親の体重は40キロもありませんでした。
これが僕の介護体験です。
死にゆく人を看取るのは落胆の連続です。悲しみを積み重ねて麻痺させていく作業です。
今までの人生で最も疲弊した1年6ヶ月でした。
75歳を過ぎたあたりから父親の衰えは感じていました。
親父もだいぶ年をとったなぁと感じて、覚悟はしていました。
でも、もう一度親父と一緒に野球が見たかったなぁ…
大谷のホームランを親父と一緒に観戦したかったなぁ…
親父… ありがとう…
親の介護で大変な思いをしている人へ
親の介護は本当に大変な作業であり、重労働です。
介護者には相当な負担がかかります。病状が少しでも変化すればすぐに電話がかかってきます。
電話が鳴っただけでドキドキして不安になります。
もちろん仕事は手につきませんし、大好きな趣味や友達付き合いも少なくなります。
本当に孤独で辛いです。
でも誰かがやらなければいけません。
誰かが覚悟を決めて面倒をみなければなりません。
その大変な役割を果たしているあなたは凄いです。
僕にはわかります。
あなたはとても心優しくて、頼もしい人です。
どうか、お身体を大切に乗り切ってください。
応援しています!
ここまで読んでいただきありがとうございます。
介護福祉士の資格を持つメイプル超合金の”安藤なつ”さんが書いた本です。
気楽に読める本です。疲れた時にどうぞ。
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