おはようございます。
僕は20代の頃から接骨院で働き始め、その後整体院や整形外科でも働いてきました。
今はアルバイトで介護施設で働いています。
僕の社会人としてのキャリアの半分以上は、お年寄りを相手にサービスを提供する仕事です。
なぜ僕がこの仕事を選んだのか?
安定しているからこの仕事を選んだわけではありません。
大学を1年で中退し、色々な職種を転々として気づいたらこの仕事に流れ着いていたというのが実際のところです。
お年寄りを相手にマッサージをしたり、話をしていると心が落ち着くのです。
お年寄りは動きも遅く、耳も遠いので自然と会話はシンプルでゆっくりになっていきます。
そのスローな感じが僕の性質に合っていたのかもしれません。
あまりに複雑化され、スピードアップされた現代社会に疲れた僕は静かな環境を求めたのかもしれません。
自分より遥かに歳をとった人と話すのは、刺激は少ないですが安定していて安心感があります。
そこに何の発展性も求めない、裏のない定型分のような会話の繰り返しは退屈でつまらないものに感じますが楽です。
会話の細部に気を遣わなくていいので脳の容量を使わずに会話できます。
そんなのんびりした雰囲気が心地よくてこの仕事を選んだのかもしれません。
20年前のお年寄りは、ほとんどの人が戦争経験者で戦闘体験をよく聞かされました。
空襲の話や防空壕の話、満州国にいた人やシベリアから生きて帰ってきた人など興味深い話をたくさん聞かせてくれました。
そんな映画のような話を聞かされていると、自然と目上の人にたいする「尊敬の念」みたいなものが湧いたものです。
しかし、当然ながら時代が変わればお年寄りも変わります。
現代のお年寄りは、ほとんどが戦後生まれで幼少期は食糧難で苦労したようですが、その後は高度経済成長期〜バブル経済をまともに経験してきた人たちです。
焼け野原の日本が経済大国へ成長していったというサクセスストーリーを今だに引きずっている人たちです。
僕は昭和53年生まれの45歳です。
僕が育ってきた日本という国はバブル崩壊後の不景気がベースの時代です。
国の経済が肯定的に語られることは稀で、基本的には日本という国の将来が不安視され続けてきた時代を生きてきました。
現代のお年寄りとは、日本という国に対しての認識にはっきりとしたギャップがあります。
高度経済成長期は国に子供が多くて、お年寄りが少なかった時代です。
当然国には伸びしろがあり、潜在力がありました。
そんな時代の武勇伝を聞かされても僕の好奇心は刺激されません。
僕が歳をとって、お年寄りとの年齢差が縮まっているので当たり前のことかもしれませんが、最近はお年寄りの話がとてもつまらなく感じます。
平和なことは素晴らしいことですが、生きることへの緊張感をなくしてしまっては残念です。
経済成長だけに囚われてしまっては人生が空いものになってしまいます。
僕は死ぬ瞬間まで、自分の人生に挑戦し続ける頼もしいお年寄りになりたいです。
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