日記

休息の取り方がわからない 

おはようございます。

今日から世間はゴールデンウィークです。

休日の開放的な空気が充満しています。

僕は半分フリーランスの状態ですので、会社員のように手放しで休日を楽しめません。

思い切ってみんなと一緒に休んでしまえばいいのですが、時間があると今自分がやっている仕事や勉強のことが頭に浮かんで手をつけたくなってしまいます。

疲労が溜まっている状態では、集中力が続かずなかなか生産的な仕事はできません。

一度しっかりリフレッシュしてから取り掛かった方が絶対に効率的だとわかっていても、休むのが怖くてだらだら続けてしまいます。

要するに僕は貧乏性で、休息を取るのが下手な人間なのです。

自分に自信がないのか、

「休んだら置いてかれる」

「僕のような凡人は人が休んでいる間にも働かなければ!」

という気持ちが強く、安心して休めないのです。

心身ともに疲労した時には、絶対休んだ方がいいです。休息も仕事の一部です。

なぜ僕は休息をサボっていると考えてしまうのか?

それはきっと、小さい頃に叩き込まれた学校教育と長年の賃金労働のせいだと思います。

会社や学校では休憩時間がしっかり決められていて、それ以外の時間に自分タイミングで休憩を取ろうとするとサボっているとみなされ、厳しく指導されます。

その教育がしっかり浸透してしまって、自分で決めて休息を取ろうとするとうまくいきません。

疲れているのに自分に鞭を打って仕事を続け、結局疲れ果ててしまい大幅に休むハメになります。

これは非常に効率が悪いです。

人に決めてもらわないと休憩もうまくコントロールできないなんて情けなさ過ぎます。

人生で培ってしまったこの奴隷のようなマインドを変えていかなければなりません。

僕は奴隷でもないし、機械でもありません。

僕には僕のリズムがあります。自分のリズムで緊張と緩和を繰り返すのが最も自然で滑らかな形です。

シンプルに自分の感覚に任せるだけでいいんです。

なぜ僕は自分のフィーリングに合わせて行動することに、

こんなにも罪悪感を感じるのか?

なぜ自分のリズムで生きることにこんなにも不安を感じるのか?

なぜ自分という存在をもっと信じてあげられないのか?

自分の感覚に従うことが何でこんなに怖いのか?

自分の感覚以外、本当に頼れるものなどないとわかっているのに…

自分の感覚に従ったなら、どんな結果になっても納得して受け入れられるはずだ。

恐怖心を超えて自分のフィーリングに身を任せる勇気と覚悟

これが今の僕に足りないものです。

今日はこれから、埼玉の友達の家に遊びにいってきます。

5年ぶりに会う友達です。渋滞しないことを祈ります。

 

 

ABOUT ME
うーじ
こんにちは。どうしても会社勤めができない45歳の自由人うーじです。会社に依存しない生き方を模索して9年目。多くの失敗経験を活かしブログとSNSで経済的な自立を目指しています。「読んでくれる皆様にリアルで有益な情報を届け続けること」がモットーです。よろしくお願いします。 柔道整復師資格、FP3級