日記

《日本の葬式》

おはようございます。

今年の1月に父親が死に、今月の初めに四十九日が終わりました。

父親を無事に看取れたことにほっとしつつも、日本の葬式システムに凄く違和感を感じ、疑問を持ちました。

父親は1年の間、入退院を繰り返し僕と母と姉は協力して死にゆく父親を全力でサポートしました。サポートの甲斐なく父は死んでしまい、私たちは本当に疲れ果てていました。

夜中に病院に呼び出され、息を引き取った父親に別れを告げその後病院で死亡診断書が発行され葬儀屋に電話をし、遺体を自宅に運びました。

数時間休んだ翌朝には、葬儀屋さんが神妙な面持ちで訪ねてきてお葬式の打ち合わせが始まります。

「棺桶はどれにする?」「祭壇はどのグレード?」「弔問客は何人くらいくるの?」

さらに、「戒名はどのグレード?」という感じですぐにビジネスの話を始めます。

戒名にグレードがあるのは驚きました。戒名とは元々出家した弟子に与えられる名前で、仏門に入った証とされるものです。

それを出家などしていない人も、死後に極楽浄土へ行けるようにという願いを込めて戒名を授けてもらうという風習が生まれたようです。

お寺から提示された戒名グレードは、50万円、80万円、120万円の3種類です。メニュー表がありましたが、何とも言えない価格設定です。このグレードによってお経の長さが変わるということでした。

死者のグレードを金で買う??極楽浄土??
どういうこと??
まあ何でもいいや、とりあえず一番安いやつで!

何の信仰心もなかった父に戒名など必要なのか?死んだ途端に出家?
全く意味がわからず混乱しました。

香典返しや祭壇の花選び、自分の会社への連絡、親戚への連絡、新聞の訃報欄の掲載、払の席の予約など全く休む暇もありません。

遺体が腐ってしまうので急ぐのは仕方ないですが、不必要な決め事が多すぎます。

もっとシンプルにできませんか?という僕の質問に、「こういうものです。」「みなさんそうされます。」の一点張り。無闇に一般論を振りかざし、ものすごい同調圧力で決断を迫ってきます。

決断と言っても決められた範囲内でのことで、決めているというよりは決めさせられているだけで、ベルトコンベアーに乗せられていました。

毎日葬儀屋さんが訪ねてきて、葬式までのあいだまともな睡眠は取れませんでした。

ようやく段取りが決まり、葬式が始まれば親戚が大勢訪ねてきてその対応に追われます。

そして、坊主と葬儀屋のコラボで親父との別れを演出してきます。MCが煽り、棺桶の中を花でいっぱいにして涙を流せと言わんばかりの盛り上がりです。

こっちは親父の看病と連日の実務で疲れ果て、泣く気力など残っていません。

僕は涙というものは促されて流すものではないと思います。胸がいっぱいになり自然と流れ出る、溢れ出すものです。

親父と過ごした時間を思い出し、1人でひっそり泣きたかった。

それなのに出棺や火葬でMCに煽られ無理矢理涙を搾り取られた。

俺の涙を返してくれ!!

葬式に演出は無用だ。そして不快極まりない。
ただでさえ悲しいんだからもっとシンプルに淡々と行えばいいんです。

結局父親の葬式にはお経代、戒名代を入れて230万円ほどかかりました。そのうち60万円は香典で補填したので実費用は170万円でした。

ちょうど軽自動車が1台買えるほどの金額です。

この金額を1〜2日で使いました。

それなら親父が元気な時に温泉旅行でも行かせてやりたかった。

葬儀屋さんや僧侶はもうちょっと疲れた遺族に寄り添う葬式というものを真剣に考えるべきです。

それで飯を食ってるんだから、ユーザビリティーを高める努力をもっと真摯に行うべきです。慣習に習っているだけでは努力とは言えないと思います。

また、これだけはどうしても納得がいかなかった。

僧侶はお布施の値段を自分で決めてはいけない!

価格が提示されたらそれはお布施ではない、料金だ!

料金とは事業所得だ、事業所得には所得税が課される決まりだ!

料金を提示している僧侶は自ら確定申告して税金を納めるべきだ!

納税して国の財政に協力するべきだ!

それが徳の高い行いじゃないのか?

そんなこともできないなら、僧侶という職業には向いていない、転職するべきだ。

とにかく、親父の冥福を祈っています。

 

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うーじ
こんにちは。どうしても会社勤めができない45歳の自由人うーじです。会社に依存しない生き方を模索して9年目。多くの失敗経験を活かしブログとSNSで経済的な自立を目指しています。「読んでくれる皆様にリアルで有益な情報を届け続けること」がモットーです。よろしくお願いします。 柔道整復師資格、FP3級